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profile

清家 あい(せいけ・あい)

誕生日 1974年12月25日

星座 やぎ座

血液型 A型

経 歴

港区東麻布生まれ。「清家石材」店の3人兄弟の長女

旧区立飯倉幼稚園・飯倉小学校卒業

青山学院中等部入学、高校3年時に「新南ロータリークラブ」から交換留学生として、オーストラリアの公立高校に1年留学

青山学院大学国際政治経済学部、国際政治学科卒業(現代ロシア論・袴田茂樹ゼミ)

産経新聞の記者として7年、主に社会部で事件、行政取材を担当

結婚・出産と仕事の両立に悩み、退社。フリーランスになるも、待機児童のため西麻布で子育てに専念。保育園にも幼稚園にも入れない港区の現状はおかしい!と、ブログ上で現場の声を集め、行政に提言する「港区ママの会」発足

2011年4月、港区議会議員選挙5位初当選。民主党。港区議会「みなと政策クラブ」所属

地方政治での活動実績に贈られる「2014年度 マニフェスト大賞/ネット選挙・コミュニケーション戦略賞 最優秀賞」受賞

議会役職

行財政等対策特別委員会委員長、区民文教常任委員会副委員長、決算特別委員会副委員長、保健福祉常任委員会委員、まちづくり・子育て等対策特別委員会委員、防災・エレベーター等対策特別委員会委員、議会運営委員会委員、区議会だより編集委員など歴任。

自己紹介

好きなこと

家族とお話すること、文章を読むこと、書くこと、海にもぐること、旅

好きな本

「グロテスク」桐野夏生
「ライ麦畑でつかまえて」サリンジャー
「ホットロード」紡木たく

    
幼少期
    

1974年12月 港区東麻布の「清家石材」の3人兄弟の長女として生まれる。
旧区立飯倉幼稚園、飯倉小学校卒業。

義理人情に厚く、ちゃぶ台ひっくり返すような「昭和」のお父さんと、どこまでも穏やかでやさしいお母さん。面倒見がよくて働き者の妹と、マイペースでのんびりした弟、の5人家族。近所に両親の祖父母も住んでいました。

飯倉小学校では、父がPTA会長をしていました。「かかし祭り」や「山形との交歓会」など楽しいイベントがたくさんあり、地域の方たちに守り育ててもらってきたと感謝しています。

    
中学・高校時代
    

青山学院中等部入学、中学時代はテニス部、高校時代はバスケ部

青春を謳歌する中学時代でしたが、中3のときに、モザンビークの子供達が誘拐され、ゲリラ兵士に仕立てられるという悲惨なルポを読んで、自分はこんなに恵まれた国に生まれて、何もしないでいいのだろうか、と急に悩み出しました。将来、国際ジャーナリストになるために勉強することにしよう、と唐突に決めました。(落合信彦の本を読み過ぎました)

    
留学時代
    

高校3年時に港区の「新南ロータリークラブ」から交換留学生として、オーストラリア・メルボルンの公立高校に1年留学

ベトナムやカンボジアからボート難民としてやってきた友達がいて、彼女たちが昼休みや放課後に、いつも自国の政治を批判し、「国に帰りたい。離ればなれになった友達に、彼氏に会いたい」といって泣いていました。政治がこんなにも個人の人生を狂わせてしまう、ということを恐ろしいほど肌身に感じました。
彼女たちはよく戦争の話をしていました。当事国の人間である自分だけが無知であることに驚き、帰国後、日本の戦争史をレポートにまとめました。(やりすぎて椎間板ヘルニアになりました)。その結果、「国際政治を考える際には、感情的にならず、また理想ばかり語るのではなく、もっと現実的な視点に立った戦略が必要なのではないか」と思うに至り、日本の安全保障政策を危惧するようになりました。

    
大学時代
    

青山学院大学国際政治経済学部、国際政治学科卒業(現代ロシア論、袴田茂樹ゼミ)
スキューバダイビングサークルに所属

大学では国際政治学を専攻。長い休みを利用して、バックパック一つで、カンボジアなど東南アジア、アフリカ諸国、中国やチベット、ロシアや東欧諸国など、途上国や戦争跡地を中心に、20カ国以上旅して回りました。資金を貯めるために、十番のレンタルビデオ店「ジャンボシアター」でアルバイト。
一番強烈だったのは、内戦直後のカンボジア。原始的で貧しい暮らしの中、人々がとても美しく、こどもたちの瞳がキラキラしていて、それまで興味のあった「開発援助」というものの意味がわからなくなりました。そして、途上国を旅して歩きながら、自分を縛り付けている「日本社会の常識」というものが、完全な虚構であることに気づかされました。また、世界の戦争跡地をまわり、戦争という「常識の外れた状態」で現れる、人間の生身の姿、残虐性から目を離せなくなり、この人間のリアルな生(せい)を直視せずにモノを考えることは危険だ、と強く思うようになりました。

第2外国語はスペイン語を履修。

大学2年時には、スペイン北部の大学に夏期留学しました。

    
記者時代
    

産経新聞の記者として7年、主に社会部で事件、行政取材を担当

就職氷河期の中、なんとか夢だった新聞記者になることができ、千葉、静岡支局、東京本社で7年間働いてきました。寝る時間もプライベートもほとんどないような生活でしたが、仕事は大好きで、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。ただ、入社したときから思っていたことは、「この仕事と結婚・子育てを両立できるのだろうか?」。「この環境で子供をちゃんと育てられるだろうか」という強い不安もあり、悩み抜いた末に退職を決めました。失意のあまり、転職する気にもなれず、「わたしは一体何に負けたのだろう」と自問自答の日々。

事件や行政取材に走り回る中で、考え続けてきたのは、日本の司法と地方議会の問題です。量刑が軽すぎて、被害者が救われない刑事裁判を数えきれないほど目にしてきて、この事実を多くの国民に知ってもらうためにも開かれた裁判制度が必要だと訴え続けてきました。また、数多くの地方自治体を取材する中で、その閉鎖性と、情報公開や市民参加に向けて地方議会が機能していない様をうんざりするほど目にしてきて、この国を再生するためには地方議会改革が急務だと感じてきました。

    
出産・子育て、議員へ
    

西麻布で3才の女の子の育児中に、現場のママの声を集め、行政に提言する「港区ママの会」発足。2011年4月、港区議会議員選挙5位初当選。

出産後、まもなく最愛の父を癌でなくし、娘が1歳になるまで、ほとんど社会とつながりがありませんでした。子どもを同じ年ごろの友達と遊ばせてあげたくても、どこで見つければいいのかわからない。働きたくても、保育園には入れない(当時、港区は待機児童率が23区ワースト1位)。幼稚園も不足していて、「幼稚園浪人」という言葉に脅えながら、熾烈なお受験競争も経験し、たくさんの傷つく親子の姿を見てきました。

こんな状況はおかしい!と思い、ブログ上で「港区ママの会」を発足。どうしてこんな状況になっているのか、取材したことをブログで公開し、現場のママたちの意見を集め、行政に政策提言する、という活動を続けているうちに、200人以上の仲間が集まりました。これからの女性や子どもたちのために立ち上がろうと思い、2011年4月の港区議会議員選挙で5位初当選を果たしました。

苦悩するママたちのために、すべての子育て世代のために、この国の未来である子供たちのために、愛する港区、日本のためにー、その一心で4年間走り続け、みんなの力を借りながら、多くの公約を果たすことができたと自負しています。そして、今も走り続けています。